東京パラリンピックを2020年にひかえ、障害者スポーツが盛り上がりを見せています。
そこで今回のお話のテーマは「障害者スポーツをめぐるアレコレ」。
指導者やボランティア、家族が、そして当事者は、一体どんなことを感じているのでしょうか。
話し手は、知的障害者スポーツに約10年携わる磯野茂氏。
スポーツトレーニングと、その成果の発表の場である競技会を年間を通じて提供している国際的スポーツ組織「スペシャルオリンピックス」の埼玉地区で陸上コーチとして活躍されています。
参考:磯野氏公式ホームページ
聞き手はきふる編集部の西山です。
自閉症の兄が選手として関わり始めたのをきっかけに、5歳からスペシャルオリンピックスに参加しています。
この記事は
「縦の関係から横の関係に」知的障害者マラソン”伴走家”インタビュー
の後編です。
まずは前半の記事をご覧ください!
スポーツはうまくなることだけが目的ではない
西山 長年ボランティアとして、障害のある人と一緒にスポーツをしていらっしゃる磯野さんですが、何か課題に感じていることはありますか?
磯野 速い人、上手い人が偉くなってしまうことですね。
練習内容も、速い子たちがたくさんいたりすると、その人たちのレベルに合わせるようになってしまいがち。
だけど、スポーツってうまくなることだけが目的ではありませんよね。競技レベルを追い求めるだけではなく、健康のために体を動かしたいというニーズもある。
障害者スポーツのレベルはどんどん上がっているけれども、すると、そうではない人たちが置いてきぼりになってしまう。
障害者スポーツの弊害はやっぱり、1軍2軍3軍と隔たりができてしまうことですかね。
パラリンピックを目指すわけではないし、一流選手を育てるわけでもない。
いわゆる「一生涯のスポーツ」として誰でも楽しめる、競技レベルや体力に関係なくスポーツができる、という場が必要なのです。
そうしないと、どんどん社会参加の機会が失われてしまうでしょう。
障害者スポーツがどんどん有名になってレベルが上がっていくのはいいけれども、置いてきぼりになってしまう人もいるから。
「パラリンピックに関わっているのですか?」とか、「教えている人はパラリンピックに出場するのですか?」とかよく聞かれるけれど、私が大切にして注目しているところはそこではない。
知的障害者スポーツならではの困難
ボーダーラインの難しさ
磯野 知的障害のある人がパラリンピックに出場することは少ないですよね。
陸上だと走り幅跳び、1500メートル、400メートルくらいしか知的障害者対象の競技がない。
その理由として、クラス分けがしづらい、判別がしづらい、というのもあるのでしょうが、実は、過去の不祥事が影響しています。
ある国がバスケットボールかバレーボールか忘れてしまったけれども、健常者を混ぜて競技に出場し金メダルを取ってしまった。
それが発覚してからすべての競技において知的障害者がパラリンピックに出場することが難しくなってしまった。
悪用してしまったのです。
身体障害の障害あるなしと比べ、知的障害は判別が難しい。
西山 私の兄はスペシャルオリンピックスの陸上で日本大会に出たことがあるんです。
でも初めのクラス分けのためのレースで歩いてしまって。
本番のレースでは走れたので、「わざと手を抜いてレベルの低いクラスに入ったんじゃないか?」と失格になりました。
参考:札幌ドームでの6時間リレーマラソンにて
磯野 あと知的障害者は障害レベルと競技レベルが、競技に対する難易度と比例するとは限らない。
重度の人のほうが軽度の人より足が速かったりする。
パラリンピックは障害の程度でクラス分けがされるけれども、知的障害の場合は同じようには難しい。
パラリンピックは障害の程度で競技の難易度・記録・得点力などが変わってきます。腕の障害、脚の障害の程度などで、違ってきますよね。
さらに現在、医療や学術的な整備が進み、知的発達障害の判定・区分別けなどが変わってきています。
知的障害、発達障害、自閉症、統合失調症とかいろいろあります。一人に一つでもない。
「なんの障害ですか?」と聞かれても難しい。
西山 たしかに、兄は障害の程度は重度だったんですけれど、運動能力は高かったです。
マラソンでもダッシュしてしまうので、伴走してくれる体育大学の学生さんでも、「マラソンでもダッシュで走られるから追い付かない」っていつも言っていました。
磯野 同じことが私の経験でもよくありました。
運動神経があっても走らない時もあるでしょう?いつも走っていたのに、歩く時もあるでしょう?
だから知的障害者の競技レベル分けって難しいのですし、知的障害の程度と運動能力って関係づけできないのですよ。
ルールや規則の問題
西山 競技である以上ルールがありますが、知的障害ならではのこだわりが強いとなかなか難しいですよね。
レースの間でもぬいぐるみを手放せなくて失格になってしまう、なんてケースもありました。
磯野 そう。ルールの問題を感じることがあります。
例えばトラック競技のスタートのときは身体を静止しなきゃいけないけれど、障害によって身体を制止できず揺らしてしまう人がいる。
地区大会の場合、ローカルルールで、そうであったとしてもスターターの判断でピストルを鳴らす。
だけれど、国際大会になるとルールも厳密になっていくので、失格にさせられてしまうっていう人もいる。
それもどうなのかなぁって私は思う。
地区大会だったらオッケーだったのに、身体を制止できない人は、日本大会、世界大会では出場ができないなんてね。
磯野 あと合宿の問題も。
日本大会は2泊3日、選手村に入るのが必須です。
親と離れて、我々コーチと一緒に生活ができる子じゃないと全国大会には出場ができない。
それもどうなのでしょうかね。そもそも日常生活面で様々な問題があるのですから。
そういう人たちも出場できるようになってこそ、スペシャルオリンピックスだと思う。
様々な理由でルールを決めているとは理解しているけれど、普通の競技に参加できないからスペシャルオリンピックスに参加をしているわけであって。
西山 そうですね。
私の兄の場合だと、父がコーチの資格を取って、選手村について行っていました。
それって結局父にとっては負担だし、コーチとの関わりというよりも親子との関わりのままですよね。
スペシャルオリンピックスの本来の目的である、「社会参加」は果たせているのでしょうか。
磯野 埼玉地区でも親コーチ、お母さんコーチがいます。
自分の息子と一緒に選手村で合宿生活をする、ということがあります。
でも、それは本来スペシャルオリンピックスが目指しているものとは違う。
我々が目指しているものは、障害のある人が他の人と一緒に生活をし、関りあうというもの。
注目されるのはトップアスリートだけ
磯野 とは言いつつ、実際問題、選手村でもサポートは大変です。
アスリート3人に対しコーチ1人という布陣です。
「じゃあ人いっぱいコーチつければいいでしょ」ともなるけど、そうなるとお金の問題も出てくるし、いろいろ事情はあるじゃないですか。
だから生活が1人でできない子は大会に参加ができないということになる。
誰でも参加ができるようになればと思う。
それには、とにかく、人が集まる仕組み、お金が集まる仕組みを作っていく必要があります。
それはスペシャルオリンピックスだけでなく、社会全体でも。
スペシャルオリンピックスの中ですら難しいから、社会全体なんて尚更難しい。
私はスペシャルオリンピックスに参加して、こういった問題を知ったことで、社会にはもっともっと課題があるのだと知ることができた。
磯野 スポーツをしている障害者が必ずしもパラリンピックに出場を目指しているわけでは無い。
お金が集まるところはトップレベルのアスリート。
よって、日常生活としてスポーツを楽しんでいる人たちには、もっと日常の中で、地域のコミュニティの中でスポーツができる場所を作っていけたらと思う。
別にスポーツでなくてもいいですよ。
私はスポーツ・ランニングですけれど、例えばダンスでもいいし、絵画クラブとか書道クラブとか何でもいいと思います。
西山 選択肢があってこそですよね。健常者だって習い事を選ぶとき、いろいろ選択肢があるなかで選ぶじゃないですか。
磯野 そう。私のスタンスは、ランニングを通じて1つ例を示しますので皆様どうぞ違う形で同じようなことをやってもらえませんか、ということ。
どんどん広がっていってほしいですね。
障害者スポーツはブームに過ぎない?
西山 パラリンピックって今とても盛り上がっていますけど、実際に障害者スポーツに関わる立場から見て、世間と実際の現場で何か違うとか、違和感を感じていることってありますか
磯野 本当に情報が少ない。
パラリンピックが盛り上がっていても、障害のある人が「じゃあ私もはじめてみよう」とはなかなかなりませんよね。
例えば、水泳を始めたいときは、「近くの施設のプールで泳いでみよう」、「フィットネスクラブの講座に参加してみよう」とかできます。
しかし、これも障害者にとってはハードルがある。
他に例を挙げると、マラソンを始めたければ、市民マラソン大会出場を目標にしてみようとか、マラソンクラブに入ろうとか選択肢はあります。
けれど、これも障害者にとってはハードルがある。
障害者スポーツの場合は、障害者が参加するには、「いつ・どこで・何を・どうすればいいのですか?」ということから始まる。
加えて、「じゃあどうやって参加する?」「送り迎えどうするの?」って。
情報が少ないのは、ボランティアに参加した人にとっても同じこと。
ボランティアをやりたいと思っても、「何が、どこであるの?」とか情報が少ない。
たくさんあるのだろうけど、見えてこない。
参考:大会で審判長宣誓をする磯野さん
磯野 あとは、極端にいうと、世間は障害者スポーツというとパラリンピックしか思い浮かべない。
しかも4年に1回しかそのブームはやってこない。
しかし、日常的に障害者スポーツは行われていて、あるいはそのニーズがあって、私のように関わっている人たちがいる。
「あーここに来て良かった」とか「あーここにきて楽しかった」とか「何か勉強させてもらった」とか、思っている人って実はたくさんいるのですよ。
ところで、アメリカってボランティアをさせてもらうためにお金を払うのですって。
ボランティアって有料らしいのです。
日本の米軍基地でも、ボランティアをする時お金を払うという話を聞きました。
それくらいボランティアって得るものが大きいということなのでしょう。
西山 たしかに、4年に1回だけあるものではなくて、日常的にあるものですよね。そこが世間との乖離といいますか。
磯野 オリンピックの後にパラリンピックがあるとPRはするけれど、結局おまけのような感じです。
浸透していないなぁと思う。
何かが起こったときにボランティアとか、障害者と関わろうと思うのではなくて、日常生活の一部として関わっていくことが大切だしそうあってほしい。
やはり、障害のある人たちは支援が必要。
できることは支援していく、これが対等平等と思います。
マイナスの感情から学ぶこと
磯野 スペシャルオリンピックスに参加していて、障害のあるお子さんを持つご家族と話すと、常々思うことがあります。
社会のルール、制度、習慣、もっとよくならないかなあ。少しでも改善できないかなぁと思います。
私がよく人に伝えているのは、「彼ら(知的障害のある人)は私が与えること以上にたくさんのことを与えてくれる」。
私が提供すること超えて、それの以上のことを返してくれる、ということを私は体験している。
西山 ボランティアをしてる理由を聞くと、「こっちが幸せになる」とか「笑顔になる」とかよく聞きますけど、そういうふわっとしたものでなく具体的な話が聞けて面白いです。
「笑顔になる」とは言っても、必ずしもそうなるとは限らないじゃないですか。
笑顔にしてくれることを求めてボランティアにいくと、笑顔をくれなかったときどうするんだろうって感じますね。
磯野 そう。笑顔をもらえた、楽しかった、感動した、それ以外にも、辛かった、変なもの見ちゃった、もうあそこには行きたくない、とか実施にはいろいろな体験や感情があるはず。
そうマイナス面のことを感じた人がいたとき、私がかける言葉は「そこから何が学べた?」です。
楽しかったことよりも、辛かったとか、嫌だったとかの方が、もしかすると学べることは大きいかもしれない。
例えば、どうして相手を怒らせてしまったのか、と考えるきっかけになる。
ボランティアって、嫌な思いをした場合、それだけで終わらせてはいけない。
ボランティアを終えた後に「どうだった?」と聞いて「すごくきつかったです」とか「障害者の引率をしたのだけど、もうあれは見たくない」とか言ったら、「じゃあどうしてそう感じたのか?」「どんな気持ちだったか?」と聞いてあげると良いと思います。
更に、そこからどんな気づきが得られたか、何か学ぶことはできたか、と問いかけ、ボランティアへ参加する前と比べでどうだったのかなど振り返ってもらうと、ボランティアへ参加した価値が上がりますよね。
私も、目の前で誰かが突き飛ばされたり、腕に噛みついたり、大声出してパニックになっているなどの現場を見ています。
何度も見ているけれど、そこから学びとるものがあります。
「どうして彼がそうなってしまったのか」
「私たちがその前段階で何かをしてしまったのか」
「彼への注目が不足していたのか」
「私は何かできることはなかったのか」
って、考えるきっかけになる。
ボランティアをやっている学生さんで、なにかモヤっとしてしまった子がいたら、「何か学べた?」と問いかけをしてあげることが、教育・学習のうえで大切だと思います。
逆に「楽しかった」「よかった」とだけで終わってしまうほうが、学びは少ないでしょうね。
「やってあげた」という、健常者と障害者の上下関係から抜け出せないままでいるかもしれない。
マイナスの感情であっても、きちんと自分が得た体験に向き合ってみることが大切なのです。
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磯野さん、ありがとうございました!
この記事は
「縦の関係から横の関係に」知的障害者マラソン”伴走家”インタビュー
の後編です。
前半では、磯野さんが障害者スポーツと関わりをもったきっかけ、関わってから気付いたことなどをお話いただきました。
ぜひご覧ください!
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