「ここより下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪はここまで来て
部落は全滅し、生存者わずかに前に二人後に四人のみ
いくとし経るとも要心あれ」
これは、岩手県宮古市にある「大津浪記念碑」に刻まれたことばです。
このように、津波の悲劇を伝える災害記念碑は、三陸地方の海岸に数多くあります。
2011年3月11日、東北地方で大規模な地震と津波が発生。
この日をきっかけとして私たちは、自然災害の恐ろしさを改めて実感しました。
今回は、なぜ東日本大震災でたくさんの命が奪われてしまったのか、そして私たちが未来のためにできることはなにかを考えていきます。
東日本大震災の被害状況
2011年3月11日14時46分、三陸沖でマグニチュード9.0の大規模な地震が発生。
岩手県の沿岸には、気象庁が地震発生3分後の午後2時49分に大津波警報を出されました。
14時50分、3メートルの津波が来ると予想。
15時14分、6メートルと予想。
15時31分、10メートル以上の津波が到達すると発表されました。
そして陸前高田市を津波が襲います。
実際には予想をはるかに上回る、17.6メートルもの津波が陸前高田市を襲いました。
陸前高田市では1,757人もの人が犠牲となりました。
地震発生前の人口は24,246人。
13人に1人が犠牲になってしまった計算になります。
どうして被害が大きくなったのか
多くの人達の命を一瞬にして奪った津波。
どうしてここまで被害が大きくなってしまったのでしょうか。
陸前高田市が静岡大学防災総合センターと共同で行った、地震発生時行動調査をみてみましょう。
「地震直後にいた場所への津波来襲の予測」では「津波は来ないだろうと思った」「津波のことは考えなかった」という人達が33%いました。(浸水した人のうち)
陸前高田市東日本大震災検証報告書より筆者作成
こうなった背景には、2010年のチリ地震があります。
2010年2月、マグニチュード8.8の地震が南米チリで発生しました。
気象庁は、日本にも3メートルの津波が到達すると予想し、大津波警報を発令。
しかし、実際に到達した津波の高さは予想よりも小さなものであり、その後気象庁は津波の予測が過大すぎたことを謝罪しました。
また、「大津波警報の認知率」も関連してきます。
気象庁がはじめに出した津波予想高は3メートル。
その後に予想高を修正していますが、10メートル以上の津波がくることを知っていた人は11%しかいませんでした。(浸水した人のうち)
陸前高田市東日本大震災検証報告書より筆者作成
「津波がくる」ということがわかっていながらも、「来ないだろう」と思ってしまった。
「津波警報は出ているけれど、そこまで大きなものはこないだろう」と思ってしまった。
これが、津波被害拡大の要因の一つであると言われています。
津波のこわさは、過去の経験からわかっていたはずだった
陸前高田市のある三陸沿岸海岸は、リアス海岸(リアス式海岸)という地形です。
入り組んだ地形であることから津波の被害が大きくなりやすい、というのは、中学校の地理の授業で聞いたことがあるのではないでしょうか。
実際に、過去には何度も大きな津波がおこっていました。
東日本大震災は、「1000年に1度の大規模地震」とも言われています。
869年の貞観地震でも、10メートル以上の津波が東北地方を襲い、多くの命が奪われたことがわかっています。
そして先人たちの津波の教訓は、石碑という形で残されていました。
もしも、過去の被害をきちんと伝えることができていたら。
津波が来ることを予想して、逃げることが出来た人は何人いたのでしょうか。
助かった命は、一体いくつあったのでしょうか。
津波の被害を受けやすい地域であることがわかっていながら、大規模な津波の被害を経験していながら。
東北地方では再び、たくさんの命が奪われてしまったのです。
桜ライン311とは
今回の悲劇をまた繰り返してしまわないために。
奪われてしまった命を無駄にしないために。
東日本大震災で得た学びを、後世に残そうとしている団体があります。
それは認定NPO法人桜ライン311。
陸前高田市に拠点をおいて活動しているNPO法人です。
桜ライン311では、東日本大震災で発生した津波の到達ラインに桜の木を植える活動をしています。
津波最大到達地点は、ラインにすると約170km。
10m間隔で桜を植えていくと、17,000本の桜並木になります。
活動実績
桜の植樹状況
桜ライン311では、2011年11月より植樹活動を開始。
津波到達地点の土地所有者の方に許可をもらい、桜を植えていきます。
活動のメインになるのは、1年に2回実施される植樹会。
3月と11月に行われます。
最近では、学校での植樹会も実施しています。
陸前高田市にある小友小学校・米崎小学校では「卒業記念植樹会」として、定期的に植樹会を開催。
また、2017年には陸前高田市唯一の高校、岩手県立高田高等学校との植樹会も行ったそう。
東日本大震災が起きたのは2011年。
これからは、震災を知らない子どもたちがこれから増えてくるでしょう。
支援の輪が、どんどん未来へと受け継がれていっています。
植樹会の参加人数
植樹会以外にも、もちろん忙しく活動しています。
せっかく植えた木ですからきちんと育っていくように見守らなければなりません。
植えた木を1本1本確認し、写真を撮って「植樹データ」を更新します。
1000本以上見守ることは簡単でなく、この管理だけで2か月もの時間を必要とするとか。
植樹から手入れまで、たくさんの人たちが関わって、桜の木を育てています。
行動を変えることはできる
桜ライン311では、桜の植樹以外の方法でも、防災・減災の普及啓発活動をしています。
陸前高田市だけでなく、日本全国の人たちに災害のこわさを知ってもらうため、講演会をしています。
東日本大震災の後にも、熊本地震、御嶽山噴火、北海道胆振東部地震などたくさんの災害に襲われてきました。
災害で亡くなる人達を一人でも減らすために、わたしたちができることとは何でしょうか。
丈夫な防波堤をつくったとしても、100年後には劣化してしまいます。
「絶対に壊れない」というものはありません。
ハード面を整備するのには、限界があります。
しかし、行動を変えることはできます。
私たちが東日本大震災で学んだことを、後世へ伝える。
それが100年後、あなたの大切な人の命を救うことになるのかもしれません。
なぜ桜を植えるのか
桜の花は、古くから日本人に愛されてきました。
しかし、非常に育ちにくく手のかかる木でもあります。
「どうして手間暇をかけて桜の木を育てるのか」を後世に伝えることで、同時に津波の悲劇を伝えることができます。
きれいに咲いた花をみて、失われた命と、大切な人とのこれからを考える。
私たちが経験した悲しみを2度と繰り返さない未来にむけて、桜ライン311は活動しています。
東北の厳しい寒さを乗り越え、春になるとかわいらしく咲いてくれる桜の花。
震災という悲しい出来事を乗り越え、どんどん復興していく東北の姿とも重なるように感じます。
「後世に伝えたい」というそれぞれの想いがラインとなる桜。
1日もはやく、桜並木の下を歩いてみたいですね。
わたしたちができること
活動開始から7年たった2018年現在、1,419本の桜の木を植樹されました。
目標の桜の本数は17,000本。
現時点では、8%にしかすぎません。
桜ライン311の活動は、まだまだ始まったばかりです。
「桜の木の上まで逃げればきっと助かる」
東日本大震災で奪われた命を無駄にしないために。
わたしたちが、未来の子たちにできることはなんでしょうか。
苗木を寄付する
植樹会で使用する桜の苗木は、岩手県紫波町の造園業者から購入しています。
桜の価格は1本約12,000~1,5000円。
自分が購入した桜がずっと残るって、なんだか素敵ですね。
お子さんが産まれた記念に植えて、大きくなったら一緒に見に行く、なんてのもいいかもしれません。
植樹会に参加する
年に2回行われる植樹会に参加することができます。
植樹会の様子は、YouTubeでみることもできます。
桜ライン311植樹会体験動画【360度VR】
植樹地を提供する
陸前高田市の津波到達地点に土地を持っている場合、桜を植える場所を提供することができます。
市や国などが所有している土地の場合、土地の権利の都合上、簡単に植えることはできません。
しかし、活動に対する理解が年々高まり、少しずつ植えることのできる土地が増えているそうです。
サポーターとして応援する
植樹会の実施、土地の整備・管理、動物被害の対策にはどうしてもお金がかかってきます。
毎月決まった金額を寄付することができる「マンスリーサポーター」となることで、「桜の育て親」として活動を応援することができます。
陸前高田市が桜の木でいっぱいにする活動を、長期的に応援することができます。
まずはあなたのできることから。
未来を明るく照らす桜の花を残していきましょう。
認定NPO法人桜ライン311公式ホームページ
この記事でのデータやグラフは陸前高田市東日本大震災検証報告書を参考にしています。