この記事はnoteより、
寄付は自分のためにノリでやるもの。
原作者:オゼキカナコさんの記事の紹介しております。
今回の豪雨災害に関して、ふるさとチョイスというサイトから「岐阜県関市」へ支援をした。
恥ずかしながら、私はふるさと納税というものをしたことがなかったのだけれど、今回「ふるさとチョイス」から被災地へ直接支援ができるというニュースを見て、いい機会だと思ってやってみた。
岐阜県関市は、私が何年か働いていた場所で、今でも何かとお世話になる人も多く、自然が豊かで産業も盛んで、、、、そして今回の豪雨災害では川が決壊しひどい被害を受けた町だ。
こんな近くでこんな災害が起こっているのを、胸がしめつけられる思いをしながらニュースで見ていた。
初めてまともに自分の意志で、自分なりにはちゃんとした金額を寄付をしたのは、東日本大震災の時だ。
日本全体が助けを必要としていて、でも何をどうしたらいいかわからなくて、モヤモヤしていた頃。
いてもらってもいられなくて自分のお店でお客様から寄付金を集め、それを自分のお金と一緒に日本赤十字社に送金した。
そうやって一度自分で寄付をしてみると、案外いろんなことで悩んで寄付してこなかったことがバカらしくなってきて、それからは気が向いたらたまに寄付とかクラウドファンディングとかで支援するようになった。
悩んでいた、というのは、どこに寄付するべきか、支援金がいいか義援金がいいか、偽善ではないか、正義とは?など、ちょっと寄付したいだけなのに何が正しいのかわからず、情弱な私は判断がつかないまま日々が過ぎていくことに辟易していたのだった。
よくわからないから寄付できない、なんて、ほんと今考えると情けないなぁと思う。
今の私にとって、寄付は「ノリ」だ。
実際、よくわからないこともたくさんあるし、何が正しいかとか正義や偽善や言い出したらきりがないけれど・・・
「多分ここなら大丈夫っぽい」という団体や送金先に、「これくらいなら人にあげて返ってこなくてもまあいいか。」という金額の支援を、気付いた時に気まぐれにやっている。
それがいつどんな風に誰のために役に立つのか、大雑把には把握しているつもりだけど詳しくはわからない。
特に始めの頃は本当によくわからず寄付していた気がするし、寄付をしたところで、寄付した瞬間から忘れてしまうくらいのことだった。
だんだん慣れてくると、今回のふるさとチョイスの災害支援のように、具体的にどの市町村のなんのために使うのかが明確にわかる方法もあることに気づく。(遅っ)
それだと、自分としてもどこの誰に使われるかわからないよりは、「役に立てそうだな」と実感が強くなるから個人的には今回よかったなと思う。
眼に浮かぶ人たちのためとか、想像しやすい用途で使われるなら、それが自分にとっては一番寄付した甲斐があると思う。
次は被災した動物を助けられる関係の団体に寄付したいなと思っている。
どこがいいかな、、、と、調べ中。
寄付は人それぞれの考え方があると思うけど、私は気付いた時に、なんとなく、パパッと勢いでやるもの、という感じ。
でもそれでいいと思っている。
私は、何より自分の「ざわざわした気持ち」が落ち着くからやる。
このお金が誰の何に使われようと、本当はどうでもいいのかもしれない。
私は、私のために、私のざわついた心を落ち着かせるために、寄付をする。
オゼキカナコさんプロフィール
ライフスタイルショップ「長月」オーナー
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