7年越しの謝辞と120万円の小銭の重み byトニー*鳥井美沙

7年越しの謝辞と120万円の小銭の重み byトニー*鳥井美沙

この記事はnoteより、

7年越しの謝辞と120万円の小銭の重み

原作者:トニー*鳥井美沙さんの記事の紹介しております。

 

 

120万円ほどの小銭は、紙袋がちぎれるくらい重かった。

 

色んな「日常」が壊れた2011年3月11日から1か月も経たない4月初旬のことだった。私はちょうど高校2年生になるとき、私は約120万円の小銭が入った紙袋を渋谷のど真ん中で持っていた。

 

3月11日、テスト明けで学校がなかった私は、あの地震の揺れを、東京の実家でひとりで経験した。津波の様子も、原発事故の様子も、テレビで見ていた。未来への不安というより、東北の被災地や東京の混沌とした世界を、現実のものとして受け止め、頭と体で理解するのが精一杯だった。

 

日常の当たり前がなくなった。学校も終業式も遊びの予定もなくなり、テレビではいつもの番組をやらなくなった。延々とニュースとACのCMが流れていた。

 

家で何もせずに本を読んで、facebookで友達の状況を確認するだけ。私は家にいて何もしないままでいいのか。そんなモヤモヤがずーっとあった。

 

当時、私は「HOPER」(ホーパー)という国際ボランティア団体を、早稲田塾という予備校のメンバー10人ほどでやっていた。すぐ、彼らに声をかけて、「街頭募金をしよう」とメールした。

 

たぶん3月15日くらいだったと思う。新宿と原宿で、ボランティア団体のメンバーと予備校の仲間が30人ほど集まり、制服を着て街頭募金をした。

 

意外と人は街を歩いていた。多くの外国人の方が、「外貨でも大丈夫?」と言って募金してくれたのを今でも覚えている。彼らはただ、たまたまその期間日本に旅行に来ていただけなのに。異国の地で天災が起きて、不安だけど何もできない状況のなかで、募金してくださったことに、胸が痛かった。

 

その1日の活動で、20-30万円集まったと思う。後日、郵便局で赤十字社に振り込んだ。

 

その日の活動時間が終わり、表参道にあった早稲田塾の校舎に参加者が集まった。その場の振り返りで、たしか「今度はポスターやらロゴやら色々準備して、もう一度しよう」という話になった。

 

で、次回はことが少し落ち着いて新学期が始まる前、4月2日〜4日くらいの3日間で、もっと色んな場所で分かれてやろうという話になった。

 

当時はメールが主な連絡手段だったので、メーリングリスト作って、メンバーたちがそれぞれの友達に呼びかけてくれた。

 

その間に、警察署や店舗への道路の使用許可、人の配置、アナウンス、ロゴ・ポスター・募金箱の制作などをメンバーで集まってやった。お店の人は、「高校生なのにすごいねぇ」と言って、ご好意で活動させてくれたりした。本当にありがたい。

hoper

参考:7年越しの謝辞と120万円の小銭の重み/トニー*鳥井美沙

「東日本大震災」という名前がついた頃だった。

 

他の高校生の団体が募金活動をしていて、私個人で手伝いに行ったりもした。「何か私にできることがあるならやりたい」。そんな想いだった。

 

ある日、私は他の団体の募金の手伝いに行くか迷いながら、家族でお昼ご飯を家で食べていた。食べながら「ご飯を十分に食べれない人もいるのに、私はこんなのん気にしていていいのか」と思い、ご飯の途中で席を立ち、家を飛び出した。そのときの衝動と食事していた光景は、今も鮮明に覚えている。

 

前もって準備をいろいろした結果、4月初旬の3日間で高校生100人ほどが集まった。冗談抜きに、知らない人が9割だった。友達の友達がまた友達を誘って参加してくれたりもした。

 

自由が丘、成城学園前、表参道、原宿、新宿、吉祥寺などで募金活動をした。ボランティア団体のその土地に詳しいメンバーがその場を率いてくれていた。毎日、終了後に表参道の校舎に集まったが、有志だったので、活動場所が違ったり、途中参加だったりで直接会えなかった人もいる。

 

まだ少し肌寒かったので、近くの店の人がお茶や差し入れをくれたりした。予備校スタッフの人も快く場所貸しを受け入れてくれた。(今は似てる仕事をしてるので、ただ感謝しかない。校舎開けてくださったりありがとうございました。)

 

そんな周りの人の温かさもそうだけど、なんと言っても、知らない人や友達の友達の呼びかけで、集まってくれた同年代の高校生の温かさも感じた。

街頭ボランティア

参考:7年越しの謝辞と120万円の小銭の重み/トニー*鳥井美沙

 

高校生でも、何か今できることをしよう。

 

それがたまたま、制服を着て東京の街頭で募金することだった。現地のボランティアに行きたい気持ちも十二分にあったけど、大体は18歳以上じゃないと行けなかった。

 

この想いが、100人もの人に伝わったのが本当に嬉しかった。その想いが、3日間の募金のあと、郵便局の集計が終わって手にした「振込額120万円」っていう額に詰まっていた。

 

振り込んだあと、赤十字にお金が渡ったあとは、もう何もできなかったけど、ネットで金額と開催報告をして、参加者のメーリングリストにも感謝のメールをした。

 

100人ほどの人を集めてまとめることも、120万円ほどの小銭を持つことも、これからの私の人生で、もう一度あるかどうかわからない。

 

たった1つ言えるのは、私はここから、自分が変われば世界が変わるということを学んだ。頭で身体で感じた。自分の想いを口にして行動にしたら、必ず何かが変わる。そのあとも色んな活動をしてきたけれども、エネルギッシュ・アクティブだねと言われるけど、紛れもなくこの募金活動が原体験。

 

つまるところ、3.11のとき、制服着て募金活動したな、っていう当時、高校生だった人、高校生に場所貸したな〜っていう大人の人、郵便局の人、赤十字からなんかもらった人。そして、高校生に募金したな〜というすべての人に「ありがとう」と言いたい。あなた一人がいなかったら、私や色んな人のもどかしさや想いは形にできなかった。1mmでも誰かにプラスの影響を与えられなかった。

 

今はSNSで拡散できるし、出会う人の幅が増えたから、募金のあと、世界のどこかですれ違ってるかもしれません。だから今、「あのとき関わってくれた人に1mmでも感謝の気持ちよ、届けーーー!」という想いで書いてます。本当にありがとうございました。私の原動力の一つですし、皆さんのそうでもあったら、嬉しい限りです。

 

2018年の私から、あのとき関わってくださった全ての方に、7年越しの謝辞を送ります。

 

皆さんの想いが詰まった約120万円の小銭は、紙袋がちぎれるほど、本当に重かったです。

 

7年前は本当にありがとうございました。また世界のどこかでお会いしましょう。

 

2018年11月9日
2018年11月24日 一部修正

鳥井美沙

 

#原体験 #東日本大震災 #街頭募金 #私の原体験 #みの編ライターチーム


トニー*鳥井美沙さんプロフィール

鳥井美沙です。早起き×ミニマリズムで雑念をなくし、教育×ことばを探求してます。デジハリの学生募集・広報 #朝渋 #片づけ部 #フォルケホイスコーレ #デンマーク #社会学 #APU #サウナ女子 #ミニマリスト

note:https://note.mu/tony_1021

Twitter:@tony1021_

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