【あの日を忘れない】東日本大震災を風化させないために、次の世代に伝える取り組みとは?

【あの日を忘れない】東日本大震災を風化させないために、次の世代に伝える取り組みとは?

3.11…

この数字がなにを意味するか、お分かりでしょうか。

 

そうです、2011年3月11日に発生した東日本大震災の日です。

マグニチュード9.0の大地震と津波が東北地方を襲いました。

この大地震と津波が発生した日付(3/11)にちなんで、さんてんいちいちと呼ばれています。

 

2011年(平成23年)3月11日、14時46分18秒、宮城県の牡鹿半島を震源地とする、大きく、そして強い地震が起きました。

戦後最大の自然災害だとも言われています。

 

読者の皆さんは東日本大震災が発生したあの日、どこで何をしていましたか?

九州にいた筆者は、中学校の卒業式を終え、東日本大震災が起きたことを知ったのは夕方家に帰った時でした。

 

テレビが全部地震のニュースになっており、はじめて事の重大さを知りました。

続く余震、増える死傷者、高まる不安…。

 

九州という離れた場所に暮し、揺れを感じていない身でしたが、こうしている今も助けを待っている人がいるんだと想像しただけで、とても怖かったです。

 

実際に震災を経験した方たちは、どんなに辛く苦しいものだったのでしょうか。

筆者では想像もつかないような経験をなさったことだと思います。

 

今回は、東日本大震災を忘れないために、後世に伝える活動にフォーカスします。

 

東日本大震災とは

東日本大震災について少しだけ振り返りをしようと思います。

 

人的被害(平成30年9月1日時点)

死者 19,667人
行方不明者  2,566人
負傷者  6,231人

 

住家被害(平成30年9月1日時点)

全壊 121,783棟
半壊 280,965棟
一部破損 745,162棟
床上浸水     1,628棟
床下浸水    10,075棟

 

参考:消防庁災害対策本部/平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について (第 158 報)/平成30年9月7日(金)10時00分

これだけたくさんの方が被害を受けました。

今現在も、行方不明の方が2,500人以上いらっしゃいます。

 

また、被害は東北だけではなく、北は北海道、南は四国まで被害が出ており、負傷者も出ております。

大切な家族、恋人、友達、ペットをなくした方々、思い出がたくさん詰まったわが家をなくした方々の悲しみは何にも変えることはできません。

 

多くの命を奪った東日本大震災を忘れないために、そして次の世代に伝えてゆくために、活動している方々がいます。

今回は、東日本大震災での経験を次の世代に伝えるための取り組みを3つ紹介させていただきます。

 

忘れてはならない記憶を石に刻む/津波記憶石

 

石碑_女川

参考:津波記憶石

 

 

「千年後の命を守るために」

 

ここは津波が到達した地点です

もし大きな地震が起きたら、この石碑より上へ逃げてください

 

逃げない人がいても、ここまで無理やりにでも連れ出してください

 

家に戻ろうとしている人がいれば絶対に引き留めてください

 

女川中学校卒業生

 

 

宮城県牡鹿郡女川町にこの石碑は建てられました。

宮城県牡鹿郡女川町、この町は太平洋沿岸に位置する町。

東日本大震災の地震による津波で甚大な被害を受けました。

 

この悲しみを二度と繰り返さないために。

津波に奪われてしまった命を無駄にしないために。

この東日本大震災で得た経験を次の世代に伝えるために、この石碑は建てられました。

 

4,411棟あった家のうち、3,934棟が被害を受けました。

その被害を受けた3,934棟のうち2,924棟は全壊。

人々は一瞬にして住む家を失いました。

 

港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高[注釈 3])は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8メートルを記録したそう。

 

14.8メートルの津波、皆さん想像できますでしょうか。

ビル1階分の高さを一般的な3メートルと想定した場合、ビル5階ほどの高さの津波が押し寄せてきたことになります。

自分の身長の何倍でしょうか。想像してみてください。

この津波により、たくさんの命が奪われました。

 

この津波記憶石は一般社団法人全国優良石材店の会(全優石)により設置。

碑文は、「いのちの石碑プロジェクト」を進める女川中学校卒業性による言葉であり、震災の記憶を1000年先の未来へと伝えるために、町内21の浜に建立する「いのちの石碑」にも同じ言葉が刻まれています。

 

ちょうどこの高さ/ヤフー株式会社

やふーびる

参考:毎日新聞/2017/3/7

 

東日本大震災から6年が経とうとしていた2017年3月、東京/銀座の交差点にそびえたつソニービルに、大きな大きな広告が期間限定で掲げられました。

高さ28.5メートル、幅6.7メートルの大きな広告。

これは、東日本大震災で岩手県大船渡市で観測された津波の高さを示したものです。

この広告に書かれている文字を紹介します。

3月11日。

この日が来るたび、私たちはあのときのことを振りかえる。

東日本大震災から、早くも6年が経った。

災害なんて、もう起きるな。

毎年のように私たちはそう思うけれど、災害はいつかまた、たぶん、いや確実に起きてしまうだろう。

あの日、岩手県大船渡市で観測された津波は、最高16.7m。

もしも、ここ銀座の真ん中に来ていたら、ちょうどこの高さ。

想像よりも、ずっと高いと感じたはず。

でも、この高さを知っているだけで、とれる行動は変わる。

そう。

私たちは、今、備えることができる。

被災した人たちの記憶に想像力をもらい、知恵を蓄えることができる。

あの日を忘れない。

それが、一番の防災。

ヤフーはそう思います。

 

文中の赤い部分、ちょうどこの高さと書かれているところが、ちょうど津波の高さである16.7メートル地点。

「16.7メートル」という数字だけ聞くと、実際どのぐらいの高さなのか想像つかないですよね。

こうやって実際にこうやって高さを表すと、想像以上に高いことが分かります。

 

このヤフー株式会社の広告は、GOOD DESIGN AWARDで、2017年度グッドデザイン特別賞[復興デザイン]を受賞しました。

 

 

受賞対象の概要

銀座ソニービルに、2011年3月11日の東日本大震災で岩手県大船渡市で観測された最大津波16.7mがわかる広告を掲出。

地上から16.7mのところに線を引き、「想像してもらう」ことを目的として実施。

被災者の心情に配慮するという大前提を考慮しつつ、ヤフーとしての企業姿勢、防災への想いを真摯に伝えるために、過度な演出はせず、メッセージを中心に据えた、読む広告として表現した。

その為、通行者の方々から読みやすいよう、文字の大きさや行間を調整した。

参考:GOOD DESIGN AWARD公式ホームページ

 

受賞対象の詳細

デザインコンセプト

津波の高さという「記録」を見る人に体感させ、「ヤフーからの手紙」として記憶に残す。

 

背景

2011年の東日本大震災から6年たち、メディアの報道も災害に対する意識も低下していた中で、 災害情報を発信する企業として、1人でも多くの方の防災に繋げたいとの想いから、人々の防災意識を啓発する屋外広告を実施。

 

デザイナーの想い

記録という事実を体感させることで、記憶に変える。

それをテーマに考えました。

銀座ソニービルの前に立って上を見上げ、この壁にどんなものが貼られたら一番伝わるのかを皆で考えました。

デザインがかっこ良いとか、世界観が新しいとか、いままでの広告的な思考回路を捨てました。

閉館直前のソニービルの白く聳え立つ壁面が自ずと指し示してくれたデザインかもしれません。

これは「ヤフーからの手紙」だと規定してデザインを磨いた結果、ラディカルなものが生まれたと思います。

結果、ソーシャルメディア上では「いい広告」ということだけではなく、 「体感できた」「忘れちゃいけない」「防災を考えなくちゃ」という言葉が多く上がったことは大きな成果です。

私自身、掲出された広告の前に立ったとき、そのメッセージが発する思いもしなかった存在感に目が潤みました。

 

仕様

銀座ソニービルに、2011年3月11日の東日本大震災で岩手県大船渡市で観測された最大津波16.7mがわかる広告を掲出。

 

審査委員の評価

震災を「忘れてはいけない」というYAHOOの企業としての強いメッセージを感じる。

数多くある震災メッセージ広告の中でも突出した表現になっている。

デジタルの会社がビルボードというアナログでメッセージを発信している意外性も忘れてはいけない。

上を見上げ遙か高いところの赤いラインが淡々としていて災害の怖さを煽り過ぎず、よいバランスで思い起こさせている。

参考:GOOD DESIGN AWARD公式ホームページ

 

震災を忘れないために、残された私たちにできることは、伝えつづけることではないでしょうか。

文字数が少なく、デザイン性に富んだ広告が増える中、こうやって読ませる広告でメッセージを伝えたヤフーの姿勢は素晴らしいと思いました。

 

 

『津波が来たら桜より上に逃げよう』/桜ライン311

アイキャッチ_桜ライン

参考:桜ライン311公式ホームページ

奪われてしまった命を無駄にしないために。

東日本大震災で得た学びを、後世に残そうとしている団体があります。

 

岩手県陸前高田市を拠点に活動する認定NPO法人桜ライン311という団体です。

この団体は、東日本大震災で発生した津波の到達ラインに桜の木を植えるという活動をしています。

 

ここまで被害が大きくなった理由

大津波警報が発表されていたのにも関わらず、ここまで被害が広がったのには理由があります。

 

私たちは、悔しいんです。

 

 2011年3月11日、東日本大震災が発生し、1時間以内に東北各地を津波が襲いました。

陸前高田市でも多くの人が時間を止めました。

その後、「実は、今回と同規模の津波が三陸沿岸を飲みこんだ記録や痕跡がありました。」との、

ニュースが流れていました。

10mを超える津波の可能性が、震災前から声高に叫ばれていれば!

震災前の防潮堤には、限界があることを知らされていれば!

津波によって奪われた命は、もっと少なくて済んだのではないか?

その思いが、今も頭を巡ります。

 

私たちは、悔しいんです。

 

その思いを同じくする者が集まり、「桜ライン311」を立ち上げました。

次の時代が、この悔しさを繰り返すことのないように、今回の津波の到達点を桜の木でつなぎ、

後世に伝えたいとおもいます。

現在、瓦礫撤去が進み、津波の到達点がぼやけ始めている今、一日も早く、やりたいんです。

でも、私たちだけでは、限界があります。

皆さんの力を貸してください。お願いします。

参考:桜ライン公式ホームページ/桜ライン311について

 

文中に、「実は、今回と同規模の津波が三陸沿岸を飲みこんだ記録や痕跡がありました。」というのがありますね。

 

実は、869年に起きた貞観地震という、今回の東日本大震災と同じ規模の地震が発生し、東日本大震災と同様10メートル以上の津波がきたという記録がしっかり残っていました。

 

陸前高田市が面する三陸沿岸海岸はリアス式海岸という地形です。

ギザギザしている地形で、津波の被害を受けやすい形になっています。

 

869年の貞観地震の時、「津波が来たらこの地点より高い所に逃げろ」と、石碑が建てられていました。

 

石碑_貞観

 

貞観地震の際に二つの津波がこの場所でぶつかったと言われ、津波が来たらこの地点より高い所に逃げろ、と昔から言われています。

東日本大震災でも海岸付近の住民がこの付近にある宮戸小学校へ避難して全員助かりました。

参考:一般社団法人 東北お遍路プロジェクト公式ホームページ/12 貞観地震の千年石碑と観音寺

 

もし、もっとたくさんの人に、昔の人が残してくれた記録を伝えられていれば。

ここより上に逃げなければいけないと、分かっていたら。

助かった命はいくつあったのでしょうか。

 

桜よりも上に逃げろ

この悲しみを二度と繰り返さないために。

東日本大震災での経験を後世に伝えるために立ち上がったのが桜ライン311という団体です。

 

この団体は、東日本大震災で発生した津波の到達ラインに桜の木を植える活動をしています。

津波最大到達地点は、ラインにすると約170km。

10m間隔で桜を植えていくと、17,000本の桜並木になります。

 

なぜ「桜」を植えるのか?

先人たちの津波の教訓は、石碑という形で残されていました。 私たちは残念ながら、先人の残してくれた教訓を活かすことができず、悲しみを繰り返してしまいました。

桜は日本の国花でもあり、日本人にとって特別な存在です。

また、非常に弱い生き物でもあり、人が手間隙をかけて育てる必要があります。

手がかかるからこそ忘れない。

1年に1度咲く桜は、春になれば私たちの記憶を呼び起こします。

17,000本の桜並木の理由が、後世の人々に正しく伝わっている未来。

私たちが経験した悲しみを2度と繰り返さない未来を実現するために、桜を植樹しています。

参考:桜ライン公式ホームページ/桜の植樹事業

 

私たちにできることは何か?

桜ライン311プロジェクト応援マップをご覧ください。

https://www.mapion.co.jp/f/feature/eq2011/sakuraline311prj.html

参考:桜ライン311公式ホームページ/桜ライン311プロジェクト応援マップ

2018年時点で、目標の17,000本のうち、1420本の桜が植えられました。

 

1年後か、100年後か、もしかしたら明日来るかもしれない、自然災害。

また、津波が押し寄せたとき、たくさんの命を救うために。

自分の大切な人の命を守るために。

 

“桜の育て親”となって、応援してみませんか。

 

 

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